日本人が英語に対して苦手意識を持つ理由は何かを考えてみる。僕は、中学校、高校での英語の授業そのものが、あるいは日本の大学受験のしくみが、英語に対する苦手意識を植え付けることになっているのではないか、と思っている。
学生時代の話だが、僕はベルギーで学会発表することになって、たまたま2週間違いでドイツで学会発表することになった友人と、パリで合流して遊ぶことにした。ただ学生だったので、ほとんど無銭旅行。ホテルも予約しないで行ったもんだから、朝起きて最初にすることは、その日の宿を探すことだったりした。二人とも大学での第二外国語はドイツ語だったから、フランス語は全くの素人。今から考えると、ただの無計画だし、若かったなぁと思う。でも、地球の歩き方の後ろのほうに載っている「あいさつ」と「数字の読み方」だけを覚えて、ちゃんと1週間快適に過ごせた。あとはいろんな人に言葉を教えてもらった。パリ旅行の最後には、定食屋のおばちゃんとカタコトの世間話ができるようになったし、その後訪れたベルギーのパン屋の初対面のおばちゃんとも世間話できていた。知っている言葉だけでなんとか伝えたいという気持ちさえあれば、わりと会話できるもんだ。フランス語ならできて英語だとできない、なんてことはないと思う。
ところがその後が問題。学会で出会った人たちに挨拶するのがカタコト未満になってしまったのだ。そう、学会ではみんな英語、フランス語ではない。しかも学会発表では、用意していたカンペをほとんど読むような状態。質疑応答なんか、当たらずとも遠からずな回答をして、何を答えたのかよく覚えていない。今でも、その時に感じた不思議な感覚は忘れない。生まれて初めて使うフランス語は陽気にしゃべれるのに、何年も勉強してきた英語は口から出てこないのだ。英語をしゃべると間違えるんじゃないか、間違った英語をしゃべることはとても恥ずかしいことだ、なんていう、そういう潜在意識が邪魔していたんだと思う。
中学校、高校の英語の授業では、必ず試験をする。中学校なら高校受験、高校なら大学受験が控えている。入学試験にはほとんどの場合に英語の試験が含まれているので、入学試験に合格するために、その他大勢の日本の若者たちと英語の試験の点数で戦うことになる。
その試験。みんなが100点採れるんなら特に大きな問題にはならないが、現実はそんなことはなくて、100点採れるのは5%ぐらいで、例えば平均は70点ぐらいで、もしかしたら限りなく0点に近いような奴もいる。そしてここで最も恐ろしいことは、平均点よりも下の点を取った50%の前途明るき若人たちに、「俺って英語できねー」という意識を、英語の試験をする度に、繰り返し繰り返し、精神の奥底に植え付けていくことになる。50%って、半分よ。将来の日本国民の半分は、英語に対する苦手意識を植え付けられて育っていくのだ。
高校までに習う英単語で、ほとんどの英会話はできるようになると言われている。ロングマン英英辞典では、平易な英単語2,000語だけで全ての収録語が説明されていることをご存じだろうか?つまり、この2,000語を覚えてさえいれば、表現の不自由はあるかもしれないが、英語で表現可能な全てのことを表現できることになる。一方、例えば中学校、高校の教科書に出てくる単語数を見てみると、中学校までで1,000〜1,200語、高校までで2,000語ぐらいらしい。実際、大学入試対策のための単語本は基礎的なものであれば1,800語あたりのものが多い。これらの積集合が一致しているとは言わないが、だいたい、高校までの英語の教科書に出てくる単語だけで英語をしゃべれるようになるはずだ。あとはその並べ方だけ。並べ方となると、文法も大切なんだけど、もっと大切なのは、慣れなんだと思う。知ってる単語を並べて、試してみて、通じなかったら別の順番を試す。ジェスチャーを交えてのトライ&ラン。英語でも、これでいつか意思疎通を図ることができるようになる。
そこで提言ひとつめ。中学校、高校で英語を教えるのを止めませんか?
ふたつめ。教えるのはアリにするとして、試験を止めませんか?
みっつめ。試験もするなら、みんな100点とれるようにしてもらえないですか?